スタッフ紹介

院長:大槻 善也

院長:大槻 善也

出身
京都府綾部市
家族構成
妻と子ども3人+犬2匹
趣味
北海道旅行、食べ歩き

当院のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
院長の大槻 善也です。

 

まずは、私自身を知ってもらうために生い立ちをご紹介します。

 

幼少の頃、乳母車から落ちる

私がまだ幼少のころ、親戚の家で親同士が立ち話をしていた時に、玄関前の小さい橋の上から仲の良い従兄と一緒に昔の乳母車(手押し車)から二人とも橋の下に落下してしまいました。高さは約2ⅿ、水深1cm程度で底がコンクリートだったため頭を強打し、複数個所から出血し近くの病院へ行き治療。複数個所を縫うこととなったため、今でもその傷が残っています。その時の後遺症か分かりませんが、小さい時から、頭痛と眼精疲労に悩まされています。病院でMRIの検査もしましたが特に異常はないと言われました。症状が出た時は頭痛薬や冷えピタ、お風呂で体を温めたりしています。

 

小学校1年生で肺炎になる

学校でレントゲン検査がある日に体調が悪く、母に「今日は休みたい。」と伝えるも、休ませてもらえず学校へ行くことになりました。その結果、レントゲン検査を受けてから後日結果が出ると肺炎と診断されました。そして、学校を1ヶ月程度休むことになり、病院に入院はせず通院で注射をすることになりました。その注射が痛くてよく泣いていたそうです。そのころのトラウマか注射が苦手となり、粉薬も毎日飲んでいたことから薬も苦手になりました。

 

外反母趾になる

小学校3年生から野球を始めたのですが、貰い物のスパイクを履いていました。数年経った頃には足のサイズが合わない窮屈なスパイクを履き続けました。スパイクは高価なこともあり、親にはなかなか言えず、普段履いている靴も同様で、その結果外反母趾になりました。姉弟が多いことからお金がかかると思い小さいながらにも我慢していたのだと思います。

 

中学1年生で左手首骨折

中学校から卓球部に入りました。夏休みに体育館でランニングしている時に誰かの足に引っ掛かって転び、左手首を骨折しました。夏休みに1ヶ月療養することになり、暑い時期で汗はかくし、お風呂に入るのも大変だったことを思い出します。

 

卓球での成績

高校時代は3年間をほぼ毎日卓球に打ち込み、正月休み以外は練習していました。その結果、府大会団体3位の成績となりました。

 

北海道の大学へ

北海道に魅力を感じていた私は、北海道の大学へ進みました。友達と札幌雪祭り、札幌市時計台、さっぽろテレビ塔、北見市、美幌峠、屈斜路湖、阿寒湖、摩周湖、洞爺湖、富良野、釧路湿原、知床、サロマ湖、馬の牧場、帯広等に観光、食事やスキーを楽しみました。スノボーにも挑戦しましたが、私には向いていませんでした。

 

大学卒業後は地元で就職

地元で就職し、保険の営業を中心に活動しました。お客様の生活設計を考え提案書を作成し、お客様の自宅に訪問し提案するのですが、最初はなかなか契約とはならず苦労の連続でした。その状況下で、お客様の将来設計、家計の収支等を考え提案していく中で営業成績も上がっていきました。コツコツと頑張り数年後には、全国表彰で東京に行きました。また、チーム・個人で目標達成する喜びを知りました。

 

24歳での自動車事故で九死に一生を得る

冬の夜、帰宅途中に橋の上がアイスバーンになっていました。車が滑りガードレールに衝突したのですが車高の高いRV車に乗っていたためガードレールから谷底に落ちるかと死を覚悟したのですが、ガードレールに当たっただけで命に別状はありませんでした。

 

子育て1

日中は妻が1人で子育てしていたのですが、仕事から帰宅した私の役割は、子どもをお風呂に入れることでした。初めての子は、よく泣く子でなかなか寝ないので、おんぶして21時以降に毎日のように外を歩き寝かせていました。オムツ交換もよくやり、出来る範囲の子育てはしていました。しかし、毎日働いている私のために、疲れが出ないよう夜はしっかりと寝かせてもらっていたので、妻には感謝しています。

 

子育て2

初めに就職していたところはフレックスタイム制がありましたので、朝出勤し、夕方一旦帰宅し子ども2人をお風呂に入れてから再び仕事に行くということもしていました。子どもと触れ合う時間があまりないので、大切な時間だったと思います。

 

台風16号で甚大な被害

31歳の時に台風16号がやってきて職場も1階が浸水、多くのお客様の自宅も床上浸水するなど多くの被害がありました。次の日から職場の片付けや、お客様の保険請求のため契約先を1ヶ月ほどかけて回りました。近隣市町で被害が大きく、なかなかお客様のリフォーム工事も進まないという大変なものでした。その数年後も、台風で同様の被害がありました。

 

転職

33歳の時、色々と将来の事を考え転職することにしました。一から覚えることが多く大変でしたが、職場の年度目標をチーム・個人で達成する喜びを感じました。

 

新居へ引っ越しの日に体調不良

新居へ引っ越しする日の朝に、目が覚め起きようとするのですが、起き上がることすら出来ず、病院へ行ったのですが原因不明と言われました。前日に、ある集まりでお寿司をいただいたのですが、酸っぱい味がして傷んでいたのが原因だったのか分かりませんが、点滴をうけて体は楽になりましたが、引っ越しを手伝うことができず、私はずっと寝ていました。妻と引っ越し業者にお世話になり、何の役にも立たずに申し訳なかったと思っています。

 

尿路結石になる

39歳の時に右のお腹に今まで経験したことが無い激痛がはしりました。一瞬盲腸かなと思いましたが、痛みが続くので病院へ行きました。結果は、尿路結石の診断で薬をもらいました。薬が効いているときは大丈夫ですが、切れると激痛で辛い経験をしました。2週間程度で石が出ましたが、再発する可能性がある為、あの痛みはもう経験したく無いので、食事には気を付けようと思いました。

 

整体の道へ

元々腰痛持ちだった妻が腰のヘルニアの手術をしました。足の痺れまであり日々悩んでいましたが、意を決しての手術でした。私も、以前から腰痛がありましたが、最後の配属先までの通勤と営業での走行距離が毎日130~200kmで腰痛が酷くなり、整体院や鍼灸院、接骨院へ行く頻度が多くなりました。寝るのも上を向いて眠れず、横向きで寝ていました。治療しては仕事へ行く、そしてまた治療と繰り返し、肉体的にも精神的にも限界になっていました。「この生活を続けている限り、治らない」色々と紆余曲折がありましたが退職しました。そんな中、初めは家族や自分のために整体に興味を持ちましたが、困っている人たちのお役に立てればとこの道へたどり着きました。

 

当院は、私自身のつらい「頭痛、眼精疲労、腰痛」や妻がつらい「めまい、猫背、腰痛」で長い間悩んでいたことをきっかけに、『何年も治らないつらい症状で悩んでいる人を1人でも多く助けたい』という思いで開院しました。

不調が発症する原因は、ストレス、骨格の歪みに加えその方の生活習慣など様々な要因が関係しています。
一刻も早く不調から開放され健康な身体を取り戻すためには、その原因を的確に見つけ出し解消していくことが大切です。

あなたの症状を改善に導くため、当院は徹底したカウンセリングと検査で原因を特定し、お身体の状態に合った施術を提案させていただきます。

はじめてのところは色々な不安があると思いますが、当院ではお得な初回特典もご用意しておりますので、『まずはお試し』のつもりでお気軽にお越しいただければと思います。

あなたのご来院を心よりお待ちしております。

北海道SNOW整体院